太古の人の暮らしをのぞいてみよう

TEL.0238-52-2585

〒992-0302 山形県東置賜郡高畠町大字安久津2117
e-mail:122@town.takahata.yamagata.jp
info@ukitamu.pupu.jp

企画展示
このエントリーをはてなブックマークに追加
企画展示室
 平成29年度は企画展示室で4月1(土)日から6月4日(日)までテーマ展「古墳時代から中世の考古資料」、続いて6月10日(土)から9月10日(日)までは特別テーマ展「くらべてみよう今と昔」、そして9月16日(土)から12月3日(日)まで企画展「木と生きる-弥生・古墳時代の木製品-」を開催します。また12月9(土)から3月31日(土)までは、再びテーマ展「古墳時代から中世の考古資料」を開催します。
 
「くらべてみよう今と昔~台所編~」展
                4月1日(土)~6月4日(日)まで開催


               
             エントランス  

                               ご挨拶

はじめに

                            展示の趣旨
旧石器時代の食事と道具

                      
旧石器時代の食にかかる道具
 
旧石器時代の食事
 寒かったこの時代、木の実などは少なく、主な食料は動物の肉だったと考えられます。発掘された遺跡から、ナウマンソウやオオツノシカなどの大型の動物を狩って食べていたことがわかっています。旧石器時代には、現在の「ナペ」のように、直接火にかけて煮炊きすることのできる道具がなかったので、狩りによって得られた肉は、焼<・蒸すなどの調理法で食ベていたのではないかと考えられます。また、干す・煉製にするなどの方法で、肉を保存していたことも考えられます。
 ナイフ形石器は、現代の台所用品にたとると「包丁」の役目を持った、「切る」ことの、できる石器です。食料となる肉だけではなく、毛皮や樹皮など様々なものを切るのに使われ ていたと考えられます。
また、同じナイフ形石器でも「切る」ためではなく、槍先など「剌す」ための道具としてつくられたものもあります。

縄文時代の食事と道具

                       
縄文時代の食にかかる道具

                           いろんな縄文土器

                               石 匙

                   縄文クッキーの材料と加工・焼き具

                             縄文クッキー

縄文時代の食事
 縄文時代には、それまで食料の中心だった大型の動物がいなくなってしまいます。代わって主食になると考えられるのが、木の実です。石皿などを使って木の実を粉にし、クッキーやパンのようなものを作って食べていたことがわかっています。
 また、木の実のほかにも山菜や果物を採ったり、シカ・イノシシ・ウサギ・クマなどの動物や水鳥、魚や貝をなど、さまざまなものを食べていたことがわかっています。
 縄文時代になると「土器」がつくられるようになります。展示したものの中で、大きいものは、現代の「なべ」のように火にかけて食べ物を煮たり、ゆでたりするためのものだったと考えられます。ドングリやトチなどアク抜きをしないと食べられない木の実を煮て、アク抜きをするのにも使われました。「煮る」という調理ができるようになった縄文時代には、食べ物の種類も多くなり、食料の幅が広がりました。
 石匙は「切る」ための道具で、包丁のように動物の肉や魚を切るほか、持ち歩いていろいろなものを切るのに使われました。いつでも持ち歩けるように、端につまみがついていて、この部分にひもをつけて持ち歩いていたと考えられます。
 縄文時代の人々は、木の実からクッキーやパンのようなものも食べていました。まず凹石にクルミなどを置いて石で割り、石皿と磨石を使ってすり潰し、粉にします。これに水と、つなぎになるものなどを加えよく練って、火で焼いた石の上にのせて焼きます。
 縄文クッキーは、現在のようなお菓子としてのクッキーとは違い、おにぎりなどのような持ち運びのできる主食として食べられていたようです。しっかり焼いてあって日持ちもするので、狩りの時などにお弁当として持っていったのかもしれません。

弥生時代の食事と道具

                                    弥生時代の食にかかる道具

                 石  匙                  炭化米
弥生時代の食事
 弥生時代になると、中国などから「米づくり」が伝わります。米は、木の実などよりも保存がしやすく、アク抜きなどの手間もかからないため、広く作られるようになります。米のほかに、アワやエ、マメなどの雑穀もつくられていたようです。当時のお米は、主食として食べるにはとれる量が少なかったため、それまで食べられて いた木の実や果物、肉、魚、貝なども、重要な食料として引きつづき利用されます。
 弥生土器「壷」は食べ物や水を貯蔵するために、「甕」はナベのように火にかけて、使われたと考えられます。「高坏」などの小形の土器は食べ物を盛る容器と考えられ、弥生時代の終わり頃に中国で書かれた『魏志倭人伝』には、高坏に盛った食べ物を手で取って食べると書かれています。
 弥生時代には、中国などから米づくりとともに、金属も伝わります。しかし、東北地方ではあまり金属が使われていた様子がなく、金属の武器なども見つかっていません。狩りに使う矢じりや、刃物なども縄文時代と同じように、石でできたものが使われています。

 

古墳時代の食事と道具


                        古墳時代の食にかかる道具
古墳時代の食事
 古墳時代になると、鉄製の農具を使ったり、牛馬を使って田んぼや畑を耕すなど、農耕が 本格化します。田んぼの面積も広がり、米はしだいに主食として食べられるようになりま す。農耕に手がかかるようになると、木の実を拾ったり、魚や獣を捕まえたりする時間は少なくなりますが、これらの食物も主食を補うものとして、変わらず重要でした。また、古墳時代には、熱効率のよいかまどが住居内にそなえつけられ、お湯を沸かす甕と甑と呼ばれる土器を使って、米を蒸して食べるようになります。
 古墳時代には、土師器と呼ばれる土器が 主に使われました。「甕」は火にかけて煮炊きするための道具で、大きいものと小さいものがあります。また、「甑」と呼ばれる土器は、甕に重ねて蒸し器として使われました。鉢や坏、高坏などは、食べ物を盛る食器として、壷や池は液体の容器として、大甕は水がめとして使われたものと考えられます。

奈良・平安時代の食事と道具

                      奈良・平安時代の食にかかる道具
奈良・平安時代の食事
 奈良・平安時代になると、貴族と庶民の間の身分の差が大きくなり、食事にも大きな差が現れます。都には各地から税として、米やさまざまな特産物が集められ、貴族は米を主食とし、肉・魚・野菜・果物などが並ぶ食事をしていたと考えられます。塩、酢、酒、醤などの調味料や牛乳を使った食べ物も食べられるようになりますが、貴族の生活にはさまざまな決まりごとがあり、食事も形式が重視され栄養がかたよっていたともいわれます。また、仏教の影響で獣肉を食べることが嫌われたりもしました。庶民は税として米を納め、アワやヒエなどの雑穀が主食となることが多かったようです。一汁一菜程度の質素な食事が普通だったと考えられます。
 奈良・平安時代には、古墳時代に使われた土師器のほかに「須恵器」と呼ばれる土器が一般に使われるようになります。須恵器は、水などを通しにくい利点がありましたが、直接火にかけると割れやすいため、煮炊きには古墳時代と同じ土師器の甕が使われました。水を入れる大甕は、水漏れしにくい須恵器が使われたようです。
 食器には坏や木の皿が使われ、入れるものによって土師器、須恵器、木皿が使い分けられたと考えられます。また、箸が一般に使われるようになるのもこの頃だと考えられます。
大在家遺跡からは、ひょうたんの柄杓や、曲物、ヘラなどの台所用品と思われるものも見つかっています。

中世の食事と道具

                          中世の食にかかる道具
中世の食事
 貴族の時代から武士の時代に変わると、獣肉が嫌われることもなくなり、さまざまな食べ物が食卓に上ります。
 中世の終わり頃の、亀ケ崎城跡(酒田市)からは、イヌ・タヌキ・シカ・カモシカ・イルカなどの動物や、ガン・カモなどの鳥、タイ・ブリ・カサゴ・スズキ・ヒラメ・力ワハギ・サメ・コイなどの魚の骨、サザエ・アカニシ・イガイなどの貝殼などが見つかりました。イルカの骨などには、刃物で切ったあとが残っているものもあります。大量の箸なども見つかっていることから、大勢の人が集まる宴会で食べられたものではないかとも考えられています。
 また、輪島そうめんや砂糖などは、贈答用の高級食材だったと考えられます。

 中世には、木器が多く使われるようになったと考えられ、陶磁器や漆器も食器として使われるようになります。これらは「折敷」と呼ばれる台に乗せて出され、乗せるものによって、大小さまざまな折敷が使い分けられていたようです。卸し器や擂鉢、まな板など、今も見られるような道具もみられ、鉄の羽釜でご飯を炊くようになるのもこの頃といわれます。鍋は土堝や鉄鍋があり、鉄鍋の蓋と考えられるものも見つかっています。

江戸時代の食事と道具


                      江戸時代の食にかかる道具
江戸時代の食事
 江戸時代は、現在の調理法のほとんどが確立され、醤油なども多く使われるようになります。鉄の羽釜が普及し、炊いたご飯が一般的に食べられるようになったのも江戸時代です。外食食産業も盛んになり、都市部では鰻屋、うどん屋、蕎麦屋、寿司屋などが現れます。農村部では米を年貢として納めるため、雑穀や菜を炊き込んだご飯が食べられることが多かったようです。年貢として納められた米は都市部で流通し、都市部では主に白米が食べられていました。
 当時の食事のスタイルは、―汁―菜が普通で、少しのおかずでご飯をたくさん食べるものだったため、都市部では栄養のかたよりによって「脚気」などの病気にかかる人も多かったようです。
 江戸時代には、陶磁器の皿や碗が増えてきますが、今と比べると高級品で割れたものを繕って使うことも多かったようです。漆器の椀も食器として多<使われました。これらを乗せる台は、折敷から「お膳」に変わります。
 台所用具の種類も増え、ご飯を温めるための「湯通し」や「蓮華」など、用途にあわせてさまざまな道具が使わ
れるようになります。
 また、女の子が家事が上手になるようにとの願いをこめて、台所道具のミニチュアを雛飾りとともに飾ったりすることもありました。

明治・大正の食事と道具

                       明治・大正の食にかかる道具
明治・大正時代の食事
 明治時代になり鎖国が終わると、西洋料理が入って来るようになり、和洋折衷の洋食なども生まれます。明治の初めには、江戸時代には食べる習慣のなかった牛肉を食べることが、文明開化の象徴とされ、「牛鍋」が流行したりもしました。
 洋食は少しずつ生活に浸透していきますが、普通の家庭ではそれまでどおりの和食が中心で、大きな変化は見られませんでした。庶民の生活に洋食が取り入れられるようになるのは、大正の終わりから昭和の初めごろです。
 明治時代の一般家庭では、江戸時代とあまり変わらない食生活をしていたと考えられます。お膳で食べる習慣もそのまま引き継がれ、台所用具にはあまり目立った変化はありませんでした。食器は江戸時代に比べて陶磁器が手に入りやすくなり、陶磁器の割合が増えたと考えられます


昭和の食事と道具

                          
昭和の食にかかる道具
昭和の食事
 昭和の初めには、明治・大正とあまり変わらないものが食べられていましたが、戦争が始まると食料の輸入が減り、食糧難が深刻化します。食料は配給制となりますが十分ではなく、主食である米を節約するために「節米食」や「代用食」などが食べられたりもしました。食糧不足の時代は、戦後の昭和30年頃まで続きます。
 昭和30年代後半から、高度経済成長に合わせて食生活は豊かになりはじめ、昭和50年代頃には「飽食の時代」と呼ばれる時代を迎えます。必要な栄養を十分に取れるようになった一方で、食の欧米化などによる生活習慣病の問題などが取り上げられようもなるのもこの頃からです。
 昭和の初めの台所は、明治・大正とほとんど変わりませんでしたが、戦後の昭和30年代後半から40年代にかけて、台所にガスや電気が導入され、台所用品は大きく変わります。
 冷蔵庫は昭和30年代前半までは、氷を入れて冷やすものが一般的でしたが、30年代後半になると電気冷蔵庫が普及します。電気炊飯器や電気ポットが登場し、煮炊きする火はかまどからガスコンロなどに変わります。
 食器は大量生産ができるようになり、さまざまな色・形・材質のものが安価に手に入るようになります。また、昭和の初め頃から、お膳に代わって「ちやぶ台」が使われるようになり、一家で食卓を囲むようになります。

平成の食事と道具

                           平成の食にかかる道具
平成の食事
 昭和50年代から変わらず、輸入を含めた多種多様な食材が使われ、豊かな食生活が続きます。

 台所用品はさらに電化が進み、IH調理器の普及などで、火を使わない台所も増えてきてました。便利なだけでなく、消費電力の少ない製品の開発など、台所用品は現在も日々 進歩しています。